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大阪地方裁判所 昭和33年(わ)1036号 判決

本籍並びに住居 大阪旭区新森小路北三丁目二十二番地

洋菓子店員(元大阪府西警察署巡査) 深沢一美

大正十一年四月十二日生

本籍 台湾省澎湖県馬公鎮復興里民族路七号

住居 大阪市東淀川区塚本町一丁目五十一番地

無職 呉盛

明治四十年一月三十一日生

本籍 兵庫県佐用郡上月町金屋二百十三番地

住居 大阪市東淀川区三津屋南通一丁目二十九番地市営住宅三十四号

無職(元大阪府十三橋警察署保安係長、警部補) 山本巖

大正四年五月一日生

本籍並びに住居 大阪市東淀川区十三西之町二丁目十五番地

パチンコ店経営 後藤充弘こと 後藤光蔵

大正七年四月十九日生

本籍 台湾省苗栗県通霽鎮通東里六十七号

住居 兵庫県尼崎市難波通八丁目百八十四番地

アパート経営 松本三郎こと 劉木珍

昭和二年一月二十四日生

本籍 台湾省台中県豊原鎮翁東路百九十五番地

住居 神戸市兵庫区福原町四十五番地 蓬莱軒方

コツク見習 何輝洲

昭和二年四月十五日生

本籍 岡山県都窪郡吉備町大字川入百三十八番地

住居 豊中市曽根東町三丁目二番地

無職(元大阪府警視) 高塚正一

明治四十二年七月七日生

本籍 香川県小豆郡土庄町甲六百七十六番地

住居 布施市高井田本通一丁目十番地

アパート経営 中筋武雄

明治四十一年三月二十二日生

右被告人深沢に対する加重収賄、被告人呉、同後藤、同劉、同何に対する各贈賄、常習賭博、被告人山本に対する収賄、受託収賄、被告人高塚に対する受託収賄、加重収賄、被告人中筋に対する贈賄各被告事件(昭和三十三年(わ)第九三八号、第九四七号、第一〇三一号、第一〇三六号、第一〇三九号各事件)について、当裁判所は、検察官検事辻内良隆出席のもとに審理をし、次のように判決する。

主文

被告人山本巖を懲役一年六月に

被告人呉盛、同高塚正一を各懲役一年に被告人深沢一美、同後藤光蔵を各懲役八月に

被告人劉木珍、同中筋武雄を各懲役六月に

被告人何輝洲を懲役四月に処する。

ただしこの裁判確定の日から被告人深沢一美、同後藤光蔵に対し各三年間、被告人劉木珍、同中筋武雄、同何輝洲に対し各二年間右各刑の執行を猶予する。

押収にかかる現金合計十五万六千百七十六円(証第二十八号ないし第三十二号)、ゴムボール六十五個(証第三十三号)セルロイド製ボール二十五個(証第三十四号)賭博台一個(証第三十五号)賭券合計五十七冊及び若干枚(証第三十六号ないし第四十一号)は被告人呉盛、同後藤光蔵、同劉木珍、同何輝洲から、現金二万円(証第四十八号)は被告人深沢一美からいずれも没収する。

被告人山本巖から金十九万五千円を、被告人高塚正一から金三万円を各追徴する。

訴訟費用中証人山田瀞志に支給した分は全部被告人呉盛の負担とし、証人高塚寿美子、同出雲令三、同関根広文、同西向敏夫(昭和三十四年一月二十六日出頭の分)、同村上鉄次(同年一月十六日及び一月十九日出頭の分)に支給した分は全部被告人高塚正一の負担とする。

被告人高塚正一に対する公訴事実中昭和三十年十一月下旬頃被告人呉盛から金枠眼鏡を収受したとの点(昭和三十三年(わ)第一〇三一号訴因第一、一)につき被告人高塚正一は無罪。

被告人呉盛に対する公訴事実中昭和三十年十一月下旬頃被告人高塚正一に対し金枠眼鏡を供与したとの点(昭和三十三年(わ)第一〇三一号訴因第二、一)につき被告人呉盛は無罪。

理由

(罪となる事実)

第一、被告人高塚、同呉の贈収賄関係(昭和三十三年(わ)一〇三一号)

被告人高塚は、昭和六年二月一日大阪府巡査を拝命し、その後昇進して昭和二十四年九月一日大阪市警視庁警視(昭和三十年七月一日以降大阪府警視)となり、大阪港水上署長、総務部経理課長をへて、昭和二十八年七月八日から昭和三十一年三月三十日に至るまで、大阪府十三橋警察署(昭和三十年六月三十日までは大阪市十三橋警察署)の署長として、同署に勤務し所属の警察職員を指揮監督して同署管轄区域内の犯罪捜査及び風俗営業に関する許可申請書の受理、許可の更新、大阪府公安委員会に対する行政処分の上申等いわゆる警察の事務を総括処理していたもの、

被告人呉は、昭和二十六年頃から単独又は共同で射的遊技場の経営を始め、昭和二十九年四月八日から昭和三十年二月二日に至るまで大阪市東淀川区十三西之町二丁目二十四番地において陳艶玉名義のパラダイス射的遊技場を、同年六月二十八日から昭和三十一年一月二十八日に至るまで同町二丁目五十七番地において呉木川名義のパラダイス射的遊技場をいずれも大阪府公安委員会の許可をうけて経営しながら、その許可条件に違反して遊技券を発売し、遊技台前面のピンポン玉を客の代表五名位に射撃させてその台下の六色に色分けした穴に落し、客の予想した色穴にピンポン玉が入つた場合には遊技料金の二倍乃至四倍の景品引換券を交付する等著しく客の射幸心をそそるような方法で営業していたが被告人高塚が十三橋署署長として着任以来、大阪市東淀川区十三西之町五丁目二十一番地同署署長室や右同番地署長公舎にしばしば出入りし、同被告人を同署幹部と共に料理店に招待したりして同被告人と親しくしていたものであるが、

(一)  被告人呉は、昭和三十年十二月中旬頃右署長公舎において、被告人高塚からモーニング服が小さくて着られなくなつた話を聞いたので、その頃まで前記呉木川名義のパラダイス射的遊技場に対し厳しい取締がなく、長く営業を続けられたことに対する謝礼と今後も取締につき前同様の取扱をして貰いたい趣旨のもとにモーニング服購入代金を供与しようと考え、知り合の洋服商志野憲治に被告人高塚を紹介し、同被告人はその代金を被告人呉が負担することを知りながら志野憲治にモーニング服を注文していたところ、同年十二月二十二日十三橋署署員により右パラダイス射的遊技場に対する一斉取締が行われ、その許可条件違反が発見されて名義人呉木川も取調をうけたので、被告人呉はその頃署長室において被告人高塚に対し年末のことで今廃業すると困るから正月まで営業が続けられるよう許可条件違反について寛大な処置をされたい旨請託し、その報酬及び従来取締につき寛大な取扱をうけたことに対する謝礼として、同年十二月二十七、八日頃署長公舎において同被告人に対しモーニング服購入代金名下に現金三万円を供与し、同被告人の職務に関し贈賄し、

(二)  被告人高塚は、昭和三十年夏頃から部下の保安係長村上鉄次等からの報告により、被告人呉の経営する前記呉木川名義のパラダイス遊技場において許可条件違反の行為が行われていることを察知していたが、同年十二月中旬頃署長公舎において被告人呉に対しモーニング服が小さくて着られなくなつた旨話し、同被告人から洋服商志野憲治を紹介されたので、前記(一)記載の趣旨のもとに被告人呉において購入代金を負担することを知りながら志野憲治にモーニング服を注文していたところ、折柄年末取締の一環として大阪府警察本部から発せられた「条件違反等の射的遊技場に対し厳重な取締を実施せよ」との通達に基き、十三橋署署員においても同月二十二日右パラダイス射的遊技場に対し一斉取締を行つた結果、被告人高塚も同遊技場が前記冒頭記載のような許可条件違反行為を行つていることを確認するに至つたが、その頃被告人呉から署長室において前記(一)記載の請託をうけ、その報酬及び従来取締につき寛大な取扱をうけたことに対する謝礼として供与されるものであることの情を知りながら、前記(一)記載の日時、場所において同被告人からモーニング服購入代金名下に現金三万円の供与をうけ、その職務に関し収賄し、よつて大阪府警察本部より条件違反等の射的遊技場に対し厳重な取締を継続実施し、違反については事犯の軽重にかかわらず行政処分の上申をし他の健全な遊技場等に転向させるよう指導勧奨すべき旨の指令をうけているのにかかわらず、右パラダイス射的遊技場に対し他の健全な遊技場等に転向させるよう指導勧奨することなく、かえつて被告人呉の前記請託の趣旨に従い、できるだけ早くなすべき行政処分の上申を著しく遅延させて昭和三十一年一月二十四日まで行わず、その頃まで営業を継続させて職務上相当の行為をしなかつた、

第二、被告人山本、同中筋間の贈収賄関係(昭和三十三年(わ)第一〇三九号)

被告人山本は、昭和十一年十月一日大阪府巡査を拝命し、その後昇進して昭和二十四年十二月六日大阪府警部補となり、昭和三十年十一月九日から昭和三十二年十一月十日に至るまで大阪府布施警察保安係長として同署に勤務し、一般犯罪の捜査並びに署長を補佐して管内の風俗営業に関しその許可申請書の受理、これに附随する事務及びその取締等の職務に従事していたもの、

被告人中筋は昭和二十六年末頃から射的遊技場の経営を始め昭和三十一年三月五日頃から昭和三十二年五月十五日に至るまで細川育雄と共同で布施市長堂一丁目四十二番地細川育雄方において内妻金田俊子名義の凸ちやん射的遊技場を大阪府公安委員会の許可をうけて経営しながら、同射的設備を利用し、番号の表示された皿を発売し、ボールを数字により区分けされた穴に射落し、客の予想した数字の穴にボールが入つた場合には遊技料金の二倍ないし四倍の景品引換券又は現金を交付する等著しく客の射幸心をそそるような営業をしていたものであるが、

(一)  被告人中筋は、

(1) 昭和三十一年四月十四日布施市御厨三十五番地布施警察署において、被告人山本に対し、前記凸ちやん射的遊技場において行つていた前記営業につき寛大な取締をせられたい趣旨のもとに現金一万円を供与し、

(2) 同年七月十九日右(1)同所において、被告人山本に対し右(1)同様の趣旨のもとに現金五千円を供与し、

(3) 同年八月十二日右(1)同所において、被告人山本に対し右(1)同様の趣旨のもとに現金一万円を供与し、

(4) 同年八月中頃前記凸ちやん射的遊技場において布施警察署員占部紀元より前記遊技方法が賭博もしくは許可条件違反になるから店を閉めるよう注意され、その頃右占部紀元の報告を聞いた被告人山本からも遊技方法につき叱責されたので、同年九月十一日前記布施警察署において凸ちやん射的遊技場で行つていた許可条件違反もしくは賭博行為の取締について寛大な取扱をされたい旨請託し、その報酬として現金一万円を供与し、

(5) 同年十月二十日当時警察学校に行つていた被告人山本より近鉄上六駅改札口で会いたい旨の電話があつたので、金銭を要求しているものと考え、現金を用意して大阪市天王寺区上本町六丁目一番地近畿日本鉄道上本町駅構内に赴き、同所において被告人山本に対し右(4)同様請託し、その報酬として現金一万円を供与し、

(6) 同年十一月十日右(1)同所において、被告人山本に対し、右(4)同様請託し、その報酬として現金一万円を供与し、

(7) 同年十二月初頃布施警察署署員島田良夫に凸ちやん射的遊技場を内偵され、同人から違反行為につき注意され、被告人山本からも布施警察署において「もう営業をやめてもらわないといけない」と言われたので、「もう一ヶ月だけ営業を続けさせてくれ」と言つて右(4)同様請託し、その報酬として同年十二月二十二日右(1)同所において被告人山本に対し現金一万円を供与し、

(8) 昭和三十二年一月二十一日右(1)同所において被告人山本に対し右(4)同様請託し、その報酬として現金一万円を供与し、

(9) 同年四月二十一日右(1)同所において被告人山本に対し右(4)同様請託し、その報酬として現金一万円を供与し、

もつていずれも被告人山本の職務に関し贈賄し、

(二)  被告人山本は

(1) 前記(一)(1)記載の日時場所において被告人中筋より前記凸ちやん射的遊技場において行つていた営業につき寛大な取締をせられたい趣旨のもとに供与されることの情を知りながら、現金一万円の供与をうけ、

(2) 前記(一)(2)記載の日時場所において被告人中筋より右(1)同様の趣旨のもとに供与されることの情を知りながら現金五千円の供与をうけ、

(3) 前記(一)(3)記載の日時場所において被告人中筋より右(1)同様の趣旨のもとに供与されることの情を知りながら現金一万円の供与をうけ

(4) 昭和三十一年八月頃布施警察署署員占部紀元より凸ちやん射的遊技場において許可条件違反もしくは賭博行為が行われている旨の報告をうけ、その頃被告人中筋に対し遊技方法につき注意を与えたが、前記(一)(4)記載の日時場所において被告人中筋より凸ちやん射的遊技場において行つていた許可条件違反もしくは賭博行為の取締について寛大な取扱をされたい旨請託をうけ、その報酬として供与されることの情を知りながら現金一万円の供与をうけ、

(5) 同年十月二十日警察学校から別段用件もないのに被告人中筋に近鉄上六駅改札口で会いたい旨の電話をして暗に金銭を要求し、前記(一)(5)記載の場所において、被告人中筋より右(4)同様請託をうけ、その報酬として供与されることの情を知りながら現金一万円の供与をうけ、

(6) 前記(一)(6)記載の日時場所において被告人中筋より右同様請託をうけ、その報酬として供与されることの情を知りながら現金一万円の供与をうけ、

(7) 同年十二月初頃布施警察署署員島田良夫より凸ちやん射的遊技場において行われていた違反行為の報告をうけたので、同署において被告人中筋に対し厳重に注意したが、同被告人より「もう一月だけ営業を続けさせてくれ」と右(4)同様請託をうけ、その報酬として供与されることの情を知りながら、前記(一)(7)記載の日時場所において同被告人より現金一万円の供与をうけ、

(8) 前記(一)(8)記載の日時場所において被告人中筋より右(4)同様請託をうけ、その報酬として供与されることの情を知りながら現金一万円の供与をうけ、

(9) 前記(一)(9)記載の日時場所において被告人中筋より右(4)同様の請託をうけ、その報酬として供与されることの情を知りながら現金一万円の供与をうけ、

もつていずれもその職務に関し収賄し、

第三、被告人深沢、同呉間の贈収賄関係(昭和三十三年(わ)第九三八号)

被告人深沢は、昭和二十三年四月十三日大阪市巡査を拝命し、その後昭和三十年七月一日旭警察署勤務中大阪府巡査となり、昭和三十二年十一月十一日から昭和三十三年四月十日に至るまで西警察署保安係として同署に勤務し、署長の指揮監督のもとに一般犯罪の捜査、風俗営業に関する許可申請書の受理、これに附随する事務及びその取締等の職務に従事していたもの、

被告人呉は、前記第一記載の呉木川名義のパラダイス射的遊技場の経営後、昭和三十二年十一月七日から同年十二月二十七日に至るまで後藤光蔵、劉木珍と共同で大阪市西区九条通三丁目五百二十二番地任道梅方において大阪府公安委員会の許可をうけて玉田米蔵名義のパラダイス射的遊技場を経営しながら、右射的設備と別に裏面に賭博設備を設け、そこで六色玉ころがしと称する賭博を行つていたものであるが、

(一)  被告人呉は

(1) 昭和三十二年十二月二十六日被告人深沢を電話で呼び出し同被告人をキヤバレーに招待して酒食の接待をしたが、その帰途大阪市南区三寺町三十八番地「ヒノキトルコ」附近より同市北区梅田に向う自動車中において同被告人に対し、前記パラダイス射的遊技場裏において行つていた賭博行為につき寛大な取締をせられたい趣旨のもとに現金一万円を供与し、

(2) 同年十二月二十七日夕方被告人深沢より電話で「すぐ止めよ、手入される、明日中に廃業届を出しておけ」等近く検挙ある旨の通報をうけ、右通報に従い同日直ちに店を閉め、翌日廃業届を提出したため、同年十二月二十九日行われた一斉取締に際し、賭博現行犯として検挙されることを免れたので昭和三十三年一月十一日被告人深沢を料理店等に招待し、その帰途同市南区心斎橋附近より同市北区梅田へ向う自動車中において、同被告人に対し、同被告人が右検挙の通報をしたこと及び従来前記賭博行為につき有利寛大な取締をしたこと等職務上不正の行為をしたことの報酬として現金一万円を供与し、

もつていずれも被告人深沢の職務に関し贈賄し、

(二)  被告人深沢は、昭和三十二年十一月十三日西警察署保安係の前任者から事務引継をうけ、申報、投書、内偵等により、被告人呉の経営にかかる前記パラダイス射的遊技場の裏面において賭博行為を行つていることを察知していたが同年十二月二十五日監察官久保警部補より右射的遊技場を検挙するよう強い指示をうけたので、右指示に従い西警察署保安係及び刑事課において年末までに一斉検挙をなすべく鋭意内偵を続けていたところ、

(1) 前記(一)(1)記載の日時場所において、被告人呉より前記パラダイス射的遊技場の裏面で行つていた賭博行為につき寛大な取締をせられたい趣旨のもとに供与されることの情を知りながら、現金一万円の供与をうけ、その職務に関し収賄し、翌二十七日午後六時頃被告人呉に対し、電話で「すぐ止めよ、今晩八、九時頃手入される、明日中に廃業届を出しておけ」等申し向け、近く検挙ある旨を通報し、よつて職務上不正の行為をし、

(2) 前記(一)(2)記載の日載の日時場所において被告人呉より右(1)記載のとおり検挙の通報をしたこと及び従来前記賭博行為につき有利寛大な取締をしたこと等職務上不正な行為をしたことの報酬として供与されることの情を知りながら現金一万円の供与をうけ、その職務に関し収賄し、

第四、被告人山本、同呉、同後藤、同劉、同何間の贈収賄及び常習賭博関係(昭和三十三年(わ)第一〇三六号、第九四七号)

被告人山本は、前記第二記載のとおり布施警察署勤務後、昭和三十二年十一月十一日から昭和三十三年四月五日に至るまで十三橋警察署保安係長として同署に勤務し、一般犯罪の捜査並びに署長を補佐して管内の風俗営業に関しその許可申請書の受理これに附随する事務及びその取締等の職務に従事していたもの、

被告人呉は前記第一、第三記載のとおり、呉木川名義及び玉田米蔵名義の各パラダイス射的遊技場を昭和三十二年十二月二十八日まで経営していたもの、

被告人後藤は、昭和二十九年頃から肩書住居地において中村正彦名義でビクターパチンコ店を経営するかたわら、被告人呉等と共同で、前記第一記載の呉木川名義のパラダイス、前記第三記載の玉田米蔵名義のパラダイス各射的遊技場を経営していたもの、

被告人劉は、昭和三十二年十一月頃から、被告人呉と共同で前記第三記載の玉田米蔵名義のパラダイス射的遊技場の経営をしていたもの、

被告人何は、昭和三十二年夏頃から布施市足代一丁目で内妻塚本豊子名義で射的遊技場を経営し、その当時布施警察署に保安係長として勤務中の被告人山本と知り合つていたものであるが、

(一)  被告人呉、同後藤、同劉は、昭和三十三年一月頃前記玉田米蔵名義のパラダイス射的遊技場で行つていたのと同様の方法で賭博を行い金儲けしようと企て、それまで前科もなく、被告人山本と知り合つている被告人何に射的遊技場の名義人となることを頼んでその承諾を得、被告人呉、同後藤、同劉において各出資し、被告人呉、同何において営業許可申請等の警察との交渉を、被告人劉において実際の賭博場の運営、会計を担当することとし、被告人呉、同何において昭和三十三年一月二十二日十三橋警察署に赴き、被告人山本に対し、大阪市東淀川区十三西之町二丁目五十七番地の一において被告人何名義で射的遊技場を経営する旨の風俗営業許可申請書を提出し、同日同警察署に受理されたところ、

(1) 被告人呉、同後藤、同何は、右営業許可を出来るだけ早く得るため被告人山本に金銭を供与しようと共謀し、同年一月二十二日被告人何において自動車中で被告人山本に対し、被告人後藤が予め用意していた金二万円のギフトチエツクを手渡そうとしたが、拒絶されたので、右ギフトチエツクを被告人呉に返して同被告人より同額の現金を受取り、翌二十三日被告人何において被告人山本と連絡した上、大阪市北区梅田町国鉄大阪駅構内ステーシヨン茶房に赴き、同所において同被告人に対し前記のとおり提出済の風俗営業許可申請につき有利な取扱をされたい趣旨のもとに現金二万円を供与し、

(2) 被告人後藤、同劉、同何は、前記営業許可を早くして貰い、かつ営業許可をうけてからも取締を寛大にして貰うため被告人山本に金銭を供与しようと共謀し、同年二月十日被告人何において被告人山本に電話連絡し、右(1)同所において同被告人に対し右(1)同様の趣旨及び営業許可をうけてからもその取締を寛大にされたい趣旨のもとに保安係員飲酒代名下に現金三万円を供与し、

(3) 同年二月十一日被告人何に対し前記許可申請中であつた共栄射的遊技場の営業が許可されたので、かねての前記計画に従い同年二月十五日頃から同遊技場奥土間において後記(6)のとおり六色玉ころがしと称する賭博行為を始めたが、同年三月六日頃被告人何は右共栄射的遊技場に内偵に来た被告人山本から表に呼出され「人形でも置いておかんといかんじやないか」と注意されたので、同被告人に裏で行つている賭博を察知されたものと考え、直ちに被告人劉と相談の上被告人山本をアルサロ「花馬車」に招待し、被告人呉にも連絡して共に接待したが、その帰途被告人何及び呉は被告人山本から、大阪府警察本部の阿知原警部が警視になつたから祝をしなければならないと話され暗にその祝を要求されたので、被告人呉、同劉、同何は共謀の上、被告人何において被告人山本の指示に従い、同年三月八日頃大阪市東淀川区十三西之町十三橋警察署に赴き、同所において、被告人山本に対し前記賭博行為の取締について寛大な取扱をされたい旨請託し、その報酬として被告人劉の用意した現金一万円を供与し、

(4) 同年三月中旬頃被告人呉、同何は、被告人山本から法事で田舎に帰るとの話を聞き暗にその土産代を要求されたので、被告人呉、同後藤、同劉、同何は共謀の上、被告人何において被告人山本の指示に従い、同年三月二十日国鉄大阪駅構内ステーシヨンパーラーに赴き、同所において被告人山本に対し右(3)同様請託し、その報酬として現金三万円を供与し、

(5) 被告人後藤は、同年三月十日頃その経営にかかるビクターパチンコ店の名義人中村正彦から、同パチンコ店において被告人山本に景品買の現場を発見され、同被告人から右違反事件につき当直の夜くわしく話しようと暗に金銭を要求されたことを聞いたので、中村正彦と共謀の上、右要求に従い事件を穏便にすませるため被告人山本に対し金員を供与しようと企て、中村正彦において同被告人の指定した同年三月中旬頃前記十三橋警察署宿直室に赴き、同室において同被告人に対し、右風俗営業取締法違反事件の取調につきこれを中止されたい旨請託し、その報酬として現金二万円を供与し

もつていずれも被告人山本の職務に関し贈賄し、

(6)(イ) 被告人呉、同後藤、同劉は前記(一)冒頭記載のように賭博行為を共謀し、常習として、昭和三十三年二月十五日頃から同年三月三十日に至るまで連日にわたり、前記共栄射的遊技場奥八坪位の土間において北中照夫外多数の賭客を集め、賭博台(黒、白、赤、青、柿、銀の六色三十六穴板)にゴムボールをころがし、賭客の予想した色穴にゴムボールが入つた場合には賭客の勝とし、その賭金の二倍ないし四倍を支払い、そうでないときは賭客の負とし、自己において賭金を取得する方法により勝負を決する俗に六色玉ころがしと称する博奕をし、

(ロ) 被告人何は、前記(一)冒頭記載のとおり、被告人呉、同後藤、同劉に頼まれて同被告人らが射的遊技場の奥で賭博をすることを知りながら共栄射的遊技場の名義人となり、被告人呉と共に同遊技場の営業許可申請等警察との交渉を担当すると共に、同被告人らに日給で雇われて同遊技場及びその奥の賭博場で働き、被告人劉の指示に従つて毎日の配当金を被告人後藤方まで運んで同被告人に渡し、もつて昭和三十三年二月十五日頃から同年三月三十日に至るまで被告人呉、同後藤、同劉の行つていた右(イ)の賭博行為を常習として幇助し、

(二)  被告人山本は、昭和三十三年一月二十二日十三橋警察署において、被告人呉、同何より前記(一)冒頭記載の風俗営業許可申請書を受理したところ、

(1) 昭和三十三年一月二十二日自動車中で被告人何より現金二万円のギフトチエツクを手渡されたが、これを拒絶すると翌二十三日同被告人より例のものをどうしようと尋ねられたので、現金を受取る場所の打合せをし、同日前記(一)(1)記載の場所において、被告人呉、同後藤、同何より右風俗営業許可申請につき有利な取扱をされたい趣旨のもとに供与されるものであることの情を知りながら、被告人何を通じ現金二万円の供与をうけ、

(2) 前記(一)(2)記載の日時場所において、被告人後藤、同劉、同何より右(1)同様の趣旨及び営業許可をうけてからもその取締を寛大にされたい趣旨のもとに供与されるものであることの情を知りながら、被告人何を通じ、保安係員の飲酒代名下に現金三万円の供与をうけ、

(3) 同年三月六日頃前記共栄遊技場を内偵し、その裏で賭博を行つていることを察知したので、被告人何を呼出し注意したところ、同被告人からアルサロ「花馬車」に招待されたが、その帰途同被告人及び被告人呉に対し大阪府警察本部の阿知原警部が警視になつたから祝をしなければならないと話して暗にその祝を要求し、これを聞いた同被告人らからその祝を出すとのことだつたので、これを受取る日時、場所を指示し前記(一)(3)記載の日時場所において被告人呉、同劉、同何より当時同被告人らが行つていた前記(一)(1)記載の賭博行為の取締について寛大な取扱をされたい旨請託をうけ、その報酬として供与されるものであることの情を知りながら、被告人何を通じ現金一万円の供与をうけ、

(4) 同年三月中旬頃被告人何、同呉に対し法事で田舎に帰る旨話して暗にその土産代を要求し、同被告人らから右土産を出すとのことだつたので、これを受取る日時場所を指示し、前記(一)(4)記載の日時場所において被告人呉、同後藤、同劉、同何より右(3)同様の請託をうけ、その報酬として供与されるものであることの情を知りながら、被告人何を通じ現金三万円の供与をうけ、

(5) 同年三月十日頃前記中村正彦名義のビクターパチンコ店を内偵し、同店で景品買を行つている現場を発見したので、同店員北村久栄から事情を聴取したが、中村正彦から右違反行為につき寛大な取扱をされたい旨懇願されたので、同夜同人を喫茶店に電話で呼出し、同人からバーで招待をうけている間、同人に対し「このままもし消すわけにはいかん、まあ考えておく、当直の夜くわしく話そう」と言つて暗に金銭を要求し、その日時場所を指示し、前記(一)(5)記載の日時場所において被告人後藤、中村正彦より右風俗営業取締法違反事件の取調につきこれを中止されたい旨の請託をうけ、その報酬として供与されるものであることの情を知りながら、中村正彦を通じ、現金二万円の供与をうけ、

もつていずれもその職務に関し収賄し、たものである。

(証拠の標目)≪省略≫

(弁護人の主張に対する判断)

一、被告人高塚及びその弁護人は被告人高塚において被告人呉から現金三万円の供与を受けた事実がない旨主張しているが、判示第一の事実に関する前掲各証拠を綜合すると、右事実を認めるのに十分である。殊に被告人呉は検察官の取調を受けてから現在に至るまで終始一貫して現金三万円供与の事実を自白しており、又被告人高塚の妻高塚寿美子は、被告人呉が検挙されて被告人高塚に対する取調が行われる前である昭和三十三年四月十一日モーニングのズボン一着を岡山県居住の父高塚謙次に送付しており、(その理由について当公判廷では前からモーニングズボンを贈与する約束があつたので送付した旨供述しているが、右高塚謙次は検察官に対し何のためにズボンを送つて来たかその理由に苦しむ旨供述しており、右約束のあつた旨の供述は信用しがたい)右事実と昭和三十年十二月末モーニング一揃を作る以前既にモーニングズボンだけ一着作つていた事実(高塚寿美子の前掲供述書によれば、右ズボンだけ作つたのは、当時モーニング一揃えを一度に作る資金がなかつたからで、上衣、チヨツキは順次作る予定であつた)と、更に右モーニング代金を如何にして調達したかについても合理的な説明がなされない事実(この点に干する同被告人の説明は検察官に対するもの―第四回供述調書―と当公廷とでは著しく異なつている)とを綜合すると、被告人高塚が当公判廷で述べているように、新に本件モーニング一揃を(即ちズボンが二重になるにも拘らず)自己資金で作つたものとは認め難く(かりに自己資金で作つたとすれば約束もない父のところに突然然ズボンだけ送付をする必要がないし、後記金枠眼鏡と共に送付している点より見てもむしろ既にズボンがあるのに更にモーニング一揃を作つたことになつて弁解に困ると考え、余分のズボンだけ隠匿する趣旨であつたと解すべきである。なお高塚寿美子は前に作つておいたズボンを送付せず新しく作つたズボンを送付しているが、これは新しいモーニング一揃を作つた際、ズボンだけ地味だつたのでこれを着用せず平素前に作つたズボンを代りに着用していたため、前に作つたズボンを送る積りでうつかり新しい方を送つてしまつたものと考えられる)、更に被告人呉と被告人高塚が当時非常に親しくしており、被告人呉の経営する呉木川名義の射的遊技場に一斉取締が行われたのが昭和三十年十二月二十二日であつて、最も利益のあがる正月を控えているだけに、被告人呉において平常から親しくしている被告人高塚に種々懇願することは当然予想される状況であり、被告人高塚においても一般の射的場の問題でなく特に親しくしている被告人呉の関係している射的場の問題であるから(被告人高塚は公判廷において被告人呉が本件射的場に関係しており、許可条件違反の行為をしていたことを知らなかつた旨述べているが、検察官に対しては代金授受を否認するようになつてからも右事実を認めている)本件モーニング一揃を志野憲治に注文する以前から本件射的場に強い関心を払つていたと認められる。従つて以上の事実を綜合すると判示第一(二)に認定したとおり、被告人高塚は被告人呉より現金三万円の供与をうけてこれをモーニング服代金に使用したことを認定するに十分である。

二、被告人深沢及びその弁護人は、同被告人において被告人呉に電話で「近く検挙する」旨通報したことはない旨主張しているが、判示第三に関する前掲各証拠を綜合すると右事実を認めるに十分である。被告人呉の自白の外、特に前掲何輝洲、劉木珍の供述調書により明かな昭和三十二年十二月二十七日夜の玉田米蔵名義のパラダイス射的遊技場の状況(被告人呉が来て急に店を閉めたこと)及び十二月二十八日右射的遊技場について廃業届を提出したこと、並びに十二月二十六日被告人呉と被告人深沢とが梅田OS裏スパニヨラ喫茶店で会つた後共にキヤバレー、トルコ風呂等をまわつており、被告人深沢が供述しているように右喫茶店で被告人呉に「監察官が調べに来とるから早くやめたらどうや」と忠告したとしても、右忠告によつて被告人呉が店を閉めたものでなく(もしそうだとすれば右喫茶店を出てから各所をまわつていることと、被告人呉が射的場に来て急いで店を閉めさしたことと時間的心理的に矛盾する)被告人呉が急に店を閉めるに至つたのは右忠告と別の原因によると考えられることを綜合して判示第三のとおり認定する。

(法令の適用)

一、被告人山本

判示第二(二)(1)ないし(3)、第四(二)(1)(2)の各事実 刑法第百九十七条第一項前段

判示第二(二)(4)ないし(9)、第四(二)(3)ないし(5)の各事実、同法第百九十七条第一項後段

併合加重 同法第四十五条前段、第四十七条本文、第十条

追徴   同法第百九十七条ノ四後段

一、被告人呉

判示第一(一)、第三(1)(2)、第四(1)(3)(4)の各事実 刑法第百九十八条(懲役刑選択)第六十条(第四(一)(1)(3)(4)につき)

判示第四(一)(6)(イ)の事実 同法第百八十六条第一項、第六十条

併合加重 同法第四十五条前段、第四十七条本文第十条

没収   同法第十九条第一項第一号(証第二十八号ないし第三十二号)第二号(証第三十三号ないし第四十一号)第二項

訴訟費用 刑事訴訟法第百八十一条第一項本文

一、被告人高塚

判示第一(二)の事実 刑法第百九十七条ノ三第一項

追徴   同法第九十七条ノ四後段

訴訟費用 刑事訴訟法第百八十一条第一項本文

一、被告人深沢

判示第三(二)(1)の事実 刑法第百九十七条ノ三第一項

判示第三(二)(2)の事実 同法第百九十七条ノ三第二項

併合加重 同法第四十五条前段第四十七条本文、第十条、第十四条

酌量減軽 同法第六十六条第七十一条第六十八条第三号

執行猶予 同法第二十五条第一項

没収   同法第百九十七条ノ四前段

一、被告人後藤

判示第四(一)(1)(2)(4)(5)の各事実 刑法第百九十八条(懲役刑選択)、第六十条

判示第四(一)(6)(イ)の事実 同法第百八十六条第一項、第六十条

併合加重 同法第四十五条前段、第四十七条本文、第十条

執行猶予 同法第二十五条第一項

没収   同法第十九条第一項第一号(証第二十八号ないし第三十二号)第二号(証第三十三号ないし第四十一号)第二項

一、被告人劉

判示第四(一)(2)ないし(4)の各事実 刑法第百九十八条(懲役刑選択)、第六十条

判示第四(一)(6)(イ)の事実 同法第百八十六条第一項、第六十条

併合加重 同法第四十五条前段第四十七条本文、第十条

執行猶予 同法第二十五条第一項

没収   同法第十九条第一項第一号(証第二十八号ないし第三十二号)第二号(証第三十三号ないし第四十一号)第二項

一、被告人中筋

判示第二(一)(1)ないし(9)の各事実 刑法第百九十八条(懲役刑選択)

併合加重 同法第四十五条前段第四十七条本文第十条

執行猶予 同法第二十五条第一項

一、被告人何

判示第四(一)(1)ないし(4)の各事実 刑法第百九十八条(懲役刑選択)第六十条

判示第四(一)(6)(ロ)の事実 同法第百八十六条第一項第六十二条第一項

従犯減軽 同法第六十三条第六十八条第三号

併合加重 同法第四十五条前段第四十七条本文第十条

執行猶予 同法第二十五条第一項

没収   同法第十九条第一項第一号(証第二十八号ないし第三十二号)、第二号(証第三十三号ないし第四十一号)第二項

(本件起訴にかかる訴因と異なる認定をした理由、及び無罪理由)

一、被告人高塚、同呉間の金枠眼鏡の増収賄関係(無罪理由)

本件公訴事実の要旨は、被告人高塚は昭和三十年十一月下旬頃被告人呉より違反行為の取締につき寛大な取扱をされたい旨請託をうけその報酬として供与されるものであることを知りながらケース付十八金金枠眼鏡一個(金一万二千五百円相当)を貰い受けて収賄し、被告人呉は右日時場所において被告人高塚に対し右同様の請託をしその報酬として右眼鏡を供与して贈賄したというにある。

そして被告人呉の検察官に対する供述調書(33・4・19、33・4・22、33・4・29)、被告人高塚の検察官に対する供述調書(33・4・13)には右公訴事実に符合する供述が記載されているが、被告人両名とも当公判廷においては右眼鏡授受の時期は昭和二十九年九月である旨主張している。そこで各証拠を検討するのに(1)右被告人呉の供述調書によれば同被告人は右授受の時期について済生会病院を退院した直後である旨有力な根拠のある記憶に基き供述しており、右病院に対する照会によれば右退院の時期は昭和三十年十一月二十一日であること、(2)証人松田弥宗治、同安井雄三の各証言によると本件眼鏡(証第三号)は小峰商店より眼鏡商松田弥宗治に渡り、同人より被告人呉に売却されたもので、松田弥宗治は被告人呉に金枠眼鏡を売却する二ヶ月から七、八月以前に素通しの玉金枠の眼鏡を小峰商店より買入れてこれを被告人呉に売却していること、(3)小峰商店の仕切書(証第二十五号)によると右証言に相応するように昭和三十年七月二日にクルツクス平眼付十八金穴明金具を、同年十一月七日に穴明レンズ付十八金穴明金具をいずれも松田宛売却していることが明かであること、(4)証人松田弥宗治の証言によれば金枠眼鏡を被告人呉に売却してから後金枠眼鏡を小峰商店から買受けて他に売却したことはないこと、(5)鑑定人梶川重太夫の鑑定によれば本件眼鏡(証第三号)の卸売価格は九千四百七十八円であり、前記十一月七日附仕切書記載の金額とほぼ一致していること(なお右松田証人は本件眼鏡を金九千六百六円、安井証人は金一万四百七十三円と供述している)などを綜合すると一応本件眼鏡が昭和三十年に授受されたものと認定してもよいように考えられる。しかし一方証人伊勢映二の証言に写真七葉(第八回公判で取調のもの)証第四十二号ないし第四十七号の写真原板及び写真を綜合すると、証第四十四号の写真は昭和三十年正月に撮影されたもので、鑑定人梶川重太夫、証人松田弥宗治(34・4・1)、同安井雄三(34・4・1)はいずれも右証第四十四号の写真に撮影されている被告人高塚の掛けている眼鏡の枠が証第三号の眼鏡のそれと同一のものである旨供述している(玉は証第三号のそれと異なるけれども被告人高塚は検察官に対し既に本件眼鏡の交付をうけてから二、三ヶ月後か五ヶ月後玉を取換えた旨供述しており、右写真の眼鏡の玉は取換える前の玉だとすれば別段不思議はない)し、更に小切手(証第二十六号)に証人松田弥宗治の証言を綜合すると同人は昭和二十九年九月二十日右小切手(金額一万二千三百円)を被告人呉から受取つたことが明かで(小峰商店の昭和二十九年度伝票類は既に廃棄されて存在せず、松田弥宗治は金枠眼鏡の取引につき記帳していないので、右小切手が如何なる原因の金銭授受か明らかにし得ないが)右金額は本件眼鏡の小売価格(前記卸売価格の二割ないし三割増―物品税を含めない場合)にほぼ相応することがそれぞれ認められる。従つて右写真(証第四十四号)の撮影時期が昭和三十年正月である限り本件眼鏡はそれ以前即ち昭和二十九年頃に授受されたものという外なく、右撮影時期については前記伊勢証人の証言の外確たる物的証拠もないが敢てこれを否定する資料もなく結局前記(1)ないし(5)の事情によつて本件眼鏡が昭和三十年十一月頃に授受された疑はこいけれども右小切手支払の原因行為及び右写真撮影時期を否定する証拠の出ない限り右疑につき確信をいだくことができないので本件公訴事実については証明不十分といはざるを得ない。(尚眼鏡授受の時期を昭和二十九年九月とすれば、被告人高塚と呉との間の職務干係も不明であり、又単純収賄とすれば本件起訴当時既に公訴時効が完成していることになる)よつて刑事訴訟法第三百三十六条により右贈収賄の公訴事実につき被告人高塚、同呉に対しいずれも無罪を言渡す。

二、被告人山本、同中筋間の贈収賄関係

検察官は、被告人山本が昭和三十一年四月十四日及び同年七月十九日並びに同年八月十二日いずれも被告人中筋より賭博行為の取締につき寛大な取扱をされたい旨請託をうけて収賄した旨主張しているが、判示第二において認定したとおり、本件において被告人中筋の行つていた営業はいわゆる数字合せに類するもので許可条件違反になつても景品を現金に替えない限り直ちに賭博になるとは認め難く従つて被告人山本においても最初から被告人中筋が違反行為をしているという莫然とした認識はあつたにせよ、確実に条件違反又は賭博行為を被告人中筋が行つていたことを知つたのは昭和三十一年八月頃占部巡査から報告をうけた時と認めるのが相当であり、それ以前の現金の授受においては賭博行為の取締について寛大な取扱その他特定な事項についての職務行為の依頼即ち請託があつたと認める証拠が十分でない。よつて検察官主張の前記受託収賄の訴因は単純収賄に認定した。

三、被告人何に対し常習賭博幇助を認定した理由

前掲各証拠によると被告人何は被告人呉、同劉、同後藤から頼まれて共栄射的遊技場の名義人となり、同被告人らからその名義代の支払を毎月一定額(賭博の利益の多少にかかわらず)受取ることになつていたに過ぎず又右遊技場に連日出て働いていたが、実際の賭博行為に関与することは殆んどなく、他の従業員と同じく日給の支払をうけていたのにとどまり終始自ら財物を賭することがなく、かつそのことについて共謀もなかつたと認められるから賭博の幇助を常習としてなしたものと認定した。

よつて主文のように判決する。

(裁判長裁判官 田中勇雄 裁判官 原田修 裁判官 武智保之助)

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